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昭和の人間

自分自身のことを「昭和の人間」だなあと、つくづく思うことがある。

ぼくの場合、生まれてから20歳までが昭和で、20歳から50歳までが平成ということになる。
年月だけで言えば、昭和を過ごしたのは20年間であり、平成はそれよりも10年多いということになるし、ましてや生まれてから10年は覚えていることもあるが、これといった記憶があるわけでもない。
それでも、現在の自分の趣味や嗜好というものは、昭和の時代のものであるし、そこから抜けきれない。いや、別に抜けようとも思っていないけど。

漫画、アニメ、音楽、映画、ドラマ、小説、どれを取っても昭和のものが好きだし、現在でもそれを追いかけている。
ポピュラー音楽に関しては80年代派を自負しているが、70年代や60年代、あるいはそれ以前のものを追体験しようとはするものの、90年代以降のものを積極的に聞いたりすることはなく、実に後ろ向きな姿勢である。
決して褒められた姿勢ではないと自覚してはいるものの、だからと言って自分にダメ出しするわけでもなく、いや、そもそも、善い悪いの価値判断をされても困るわけで、こんな自分だから、もうどうしようもないじゃないかと開き直るより他に仕方がない。
もちろん、平成以降のものの中でも、好きなものが全く無いというわけではないが、圧倒的に昭和時代の作品の中に好きなものが多く、そして、それを今でも嗜んでいるという有様である。

いわゆるテレビの長寿番組と言われるものも、基本的には昭和である。いや、昭和以外の何者でもない。「サザエさん」にしろ「笑点」にしろ、ぼくの中ではもう昭和で終わっちゃっている。21世紀のこの世に放送する意味が全くわからない。
まあ、世の中には楽しんで視聴してらっしゃる方がいるわけだし、ぼくの好みで一刀両断するような書き方はよくないのだが、個人のブログで自分の嗜好を押し出さなかったら意味がないので許してほしい。
逆に言えば、昭和時代にはこのぼくですら、サザエさんや笑点は楽しんでいたわけで、サザエさんなんか、日曜日の夕方の本放送と、火曜日の19:00からの再放送と週に2回もテレビを付けていたくらいである(火曜日の堀江美都子さんが歌うOPとEDの歌が好きである)。とは言っても、ほとんど真剣に視聴していたわけではなく、夕飯を食べながら見るにはちょうど良いユルさと言った感じだろうか?その後、月1回だけど、「ドリフの大爆笑」へいく流れも好きだった。
笑点に至っては、もっと子供の頃、三波伸介さんがお亡くなりになった時点で終わっていた。三波伸介さんの司会もすごかったもんなあ。松崎真さんの紹介の台詞なんか、現代ではコンプライアンスに引っかかってしまうのではないかという内容だもんなあ。回答者が歌丸、木久蔵、円楽、こん平、小円遊って、そんなもの子供の頃に体験しちゃったら、その後の笑点なんか観れなくなるわけだよ。

宮崎アニメで最も好きな作品が『カリオストロの城』だとか、サザンオールスターズは結成40年になるけど最初の10年間のアルバムしか聴いてないとか(今でも愛聴してる)、鳥山明と言えば『ドラゴンボール』より『Dr.スランプ』の方だとか、昭和時代愛好家としての具体例には事欠かない。外国は元号と関係ないけど、アメリカ・イギリスのロックも88年より以前のものばかり聴いている。

別に、意識して昭和を追いかけているわけではない。
「昔はよかった」とか、「昔に比べれば現代は・・・」なんて言うつもりも全然無いし、昔を懐かしもうという気持ちもない。
ただ、単純に自分の嗜好を追求していくと、昭和時代へと遡ってしまうだけなのである。
細胞分裂の過程で、昭和時代に体験した文化の影響が大きすぎて、おっさんになった現代でもその感性が変わっていないのかもしれない。

あけましておめでとうございます2019

去年の暮れからブログを再開したつもりなのだが(正直、休止していたという自覚もなく、ただ更新しないまま時の方が勝手に過ぎてしまったという感覚である)、なにしろ、書き始めると文章が長くなってしまい、今現在も書きかけの記事とかあるのだが、なかなかまとまらないで困っている。
過去に遡ると、更に書きかけの記事があり、こういうのも掘り起こしていこうなどと考えているのだが、文章をまとめる力が不足しているのを痛感する。
ぼくは、時事問題を扱っても、そこから何か普遍的なテーマを取り出して論を展開していきたいという性分なので、過去の事件を今更ながらに取り扱ってもあまり気にしないので、ここ2年位に更新をサボっている期間の話題なども挙げていくかもしれない。

さて、2019年という新たな年を迎えたわけだが、例年のごとく、なんとなく迎えてしまったわけで、年末に1年間の総括をすることもなく、新年にあたって何か目標を設定するでなく、相変わらずけじめの無い人生を歩んでいるようで、こうやって正直に文章に書いちゃっているだけでも、情けない思いは、多少なりともある。
西暦だと2019年だが、元号で言えば平成31年である。しかし、年度で言えば、まだ平成30年度は残り3ヶ月ということになる。
平成という元号は4月一杯までという予定らしいが、新しい元号は何なのか(結局カレンダーはどうなったのか)まだ決まっていない。キリのいいところで切り替わらなかったのだが、個人的にはどうでもいいと思っている。
年度でいうと、3月末までは平成30年度であり、実は将棋界もこれに沿っている。だから昨年の暮れに2018年の将棋界の十大ニュースを康光会長が無理やり?挙げさせられていたが、藤井聡太君の朝日杯優勝なんて、昨年度の話であるという感覚である。逆に今年度最も活躍した棋士は?と問われれば、この後3ヶ月の動向を見ないと何とも言えない。広瀬竜王があきら棋王からタイトル奪取すれば、文句なく最優秀棋士賞であろうし、そうでなく、あきら棋王が防衛並びに王将奪取すれば、話がややこしくなる。豊島、広瀬、渡辺と突出した存在がいなかったということになる。ただ、豊島二冠がA級順位戦で優勝すれば、これはまた話が変わってくる。

月並みだけど、今年は平成が終わり、新しい元号が出発するという、一つの転換期を迎えるのだろうかと、漠然と感じている。
昨年暮れの羽生九段(あぁ、こう表記するのが、つらい)の無冠転落は、象徴的な出来事だったように、今は思える。
漫画、アニメ、音楽、映画、ドラマ、小説など、ぼくの趣味はどれを取っても昭和を追いかけてしまうのだが(この内容はこの後の記事にアップします)、将棋だけは平成だったなあと感慨にふけってしまう。もちろん、昭和の中原・米長時代も楽しませていただきましたが、前も書いたけど、羽生九段が平成になって初タイトル竜王を奪取してから30年間、ただただ疾走し続ける羽生九段の存在があった故がに、ぼくも将棋ファンで居続けることができたのであろうと感じている。
これから、新たな元号となってからの将棋界は、しかし、羽生九段が中心であってはいけないと思うのだ。羽生九段の復位はぼくも希望してはいるものの、しかし、また羽生九段が中心でタイトルが移動していくなどどという世界に逆戻りしてしまったら、将棋連盟のほとんどの棋士たちの存在意義は無い!とまで言ってしまってもいいであろう。これからの時代を作っていくのは、やはり若手棋士達であってほしいと願うのだ。
それでは、どういったプロ将棋界が望ましいのかと言えば、そんなものはぼくにもわからない。わからないし、これから形成されるであろうプロ将棋界に対して、ぼくが以前ほど興味を惹かれるかどうかもわからない。

実は将棋だけではない。
様々なものに対しての興味が薄れている。感動することがなくなってきている。
体力低下もそうであろうし、仕事に対する気力が薄れていくのもそうであろうが、感動することが少くなったというところに、自分自身が年老いているという実感を抱く。
また、新年早々、ネガティブな内容を綴ってしまうわけだが(笑)、かと言って、特別悲観しているというわけではない。人間誰しも年をとるし、それを静かに受け入れていくしかないと思っている。
若さが正義だとも思っていなし、年をとることが悪いことだとも思っていない。
ただ、年を重ねると共に、なんらかのパラダイム転換は必要なのだろうなとは思っている。

でも、ぼくはそんな事を述べるほど、これまでの人生で何かを成し遂げたわけでもないし、相変わらず家族を養っていくために働かなければならないし、まあ、平々凡々、これまでの生活を頑張っていくしかないという状況ではあります。

とりあえずの目標は、ブログをちゃんと更新すること、ですかね(苦笑)。

今年もよろしくお願いします。

紅白歌合戦のつまらなさ

つまらなかったら観なければいいじゃないかというは正論だと思うし、事実ぼくは全く視聴していない。
しかし、ぼくはNHKの受信料を払っているのである。文句を言う権利くらいは有していると解釈している。

なぜ紅白がつまらないのかなんて、そんなもの十年以上前から明白だと思うのだが。
すなわち、日本において「歌謡曲」というものが成立しなくなってしまったためである。
ぼくは昔から歌謡曲にあまり興味のないタイプだったので(それでもTBSの「ザ・ベストテン」は結構視聴していたような。今週のスポットライトでサザンが初めて出演したときのこと、確か小学5年くらいだったと思うが、覚えてますよ。)、ぼくが言っても説得力がないのは承知だが、やっぱり紅白は「歌謡曲」の祭典なんですよ。
「歌は世につれ、世は歌につれ」なんて言葉、もうとっくの昔に廃れたというか、ほんとにこの言葉の意味がわかるのは、ぼくよりずっと前に生まれた世代の方々ではないだろうか?
なぜ紅白を大晦日に行うかといえば、家族揃ってお茶の間のちゃぶ台を囲み、ブラウン管を見ながら、「今年はこの歌手が活躍したねえ」とその1年をその歌に象徴するためである。
そういう意味では、現在の紅白がAKBグループとジャニーズ事務所ばかりでも、それはそれで正論としか言いようがなく、演歌歌手の連中なんて、活動はしていたのだろうが、活躍をしていたわでもなく、石川さゆりなんか「津軽海峡冬景色」と「天城越え」を1年ごとに交互に歌っているって、何だ、それ?という感じである。(ちなみに、ぼくはさゆりさんのことを決して馬鹿にしているわけではく、日本で一番歌の上手い女性ヴォーカリストという評価である。)
毎年毎年、同じ歌手が同じ歌を歌っている。それを大晦日の公共放送で祝祭のように取り上げる意味がどこにあるのだ?
もうさあ、日本人も価値が多様化して、家族揃って共通の番組を楽しむなんて時代じゃないんだからさあ、いい加減、演歌歌手と口パク軍団を同じ土俵に立たすなっつーの。
演歌歌手にとっては紅白に出る出ないはその後の地方営業のギャラに反映するとか、そんなこと知ったこっちゃねぇよ。それって、つまりは紅白=利権ってことを思いっきり言ってるだけじゃない。ああ、嫌だ、嫌だ。嫌なら観るなというのなら、受信料返せっていうんだ。

それと、いつから今の時間帯になったのか知らんが(紅白なんてぼくにとっては昭和の遺物ですから)、放送時間が長すぎる。
昔のように、21:00~23:45までで十分である。
昔は時間も短かったから、出演できる歌手にも限りがあった。だからこそ、紅白に選ばれるということに希少価値が生じ、同時に名誉に思えることなのであった。80年代なんて、だから和田アキ子なんて出る幕なかったよね。
それが、時間が伸びたせいで、毎年毎年同じ顔ぶれになってしまい、和田なんて、ヒット曲もないのに当然のような顔して出やがってとか、あの鐘を何回鳴らせば気が済むのだとか散々いわれた挙句、結局爪弾きにされてしまったもんね。
昔は尺が短かったので、曲のテンポも原曲より上げざるを得なく、皆アップテンポで歌っていたが、それだけに緊張感もあり、密度の濃い内容だった。
また、レコ大で大賞を取った歌手が武道館からNHKホールまで急いで駆けつけるという臨場感もあったし、何よりレコ大取った歌手の入場も誇らしげであった。
(レコ大も紅白と同様の理由で、全く意味のない代物になってしまったが。)

それでも、視聴率40%いくんだもんなあ。
まあ、ナイツのギャグを借りれば、60%は観ていないわけで、オレも多数派に所属するんだけどさ。
今年は、紅組でも白組でもない「特別枠」として、サザンとサブちゃんが出たそうな。
もうさ、「懐メロ歌合戦」にしたら?いっそのこと。
ユーミンもサザンもサブちゃんも、俺にとっては「昭和」でしかない。
そういう時代なんだろうなあ。
もう、新しいカリスマは、今後生まれないのだろうなあ。

紅白歌合戦そのものが、滅び行く歌謡曲への鎮魂歌なのであろう。

藤田晋invitational RTDリーグ2018は小林剛プロが優勝

以前にも書いたが、AbemaTVの将棋チャンネルのとなりの麻雀チャンネルの方をよく見る。元々は将棋チャンネルの視聴が目的だったわけだが、将棋チャンネルもそこまで面白いってわけでもないんだよなあ。
ただし・・・、麻雀チャンネルもそんなにしょっちゅう観ているわけではない。例えば、秋に新設された『Mリーグ』というやつ。ほとんど観ない。興味がわかない。理由は、個人種目である麻雀を団体競技にしたところで、どうだというんだということ。いわゆる赤ドラを使用するというところ。ぼくは、麻雀連盟の一発・裏ドラ無しというルールもつまらないと思っているが(カンドラも無いんですよね、確か)、いくら一般ユーザーには赤ドラが定着しているといっても、赤入れちゃうと点数がインフレになると思っている。

というわけで、麻雀ならなんでも観ているというわけではなく、とりわけRTDリーグは楽しかったというだけである。
RTDリーグは現在分裂状態の各麻雀団体から16人のプレーヤーを招待し、8人ずつホワイト、ブラック各ディビジョンに分けて、予選リーグを54回戦行い(一人あたり27半荘)、各ディビジョン上位4人が準決勝に進める。準決勝は予選のポイントを半分持ち越し、20回戦(一人あたり10半荘)行い、上位4人が決勝卓に進める。決勝はポイントはリセットし、2日間に分け8半荘行い、当たり前だが総合ポイントトップの雀士が優勝ということである。

長い予選リーグを月曜日と木曜日の21:00~から2半荘ずつ放送するのだが、ほんとに毎回楽しみにしていた。コメント欄に「俺たちの月9」というフレーズがあったが、ほんとそう思っていた。テレビをすっかり見なくなった自分にとって、一定の曜日の一定の時間に、ブラウン管・・・じゃなかった、タブレットの前に座る(寝っ転がっているけど)なんて、RTDリーグの予選ラウンドだけだった。
・・・・それが・・・・。結論から言うと、RTDリーグはやめちゃうんだそうだ。
悲しい・・・・。また一つ、俺から楽しみを奪いやがって。
そのことは後で述べるとして、RTDリーグの楽しかった思い出なぞをホンの少し。

なんか、妙な心理なんだけど、準決勝や決勝よりも、なぜか予選ラウンドの方が楽しいんですよね。予選ラウンドはペナントレースで準決勝や決勝はプレーオフの短期決戦に例えられるだろうが、短期決戦は運の偏りが大きい要素となってしまうが、長期ペナントレースはやはり実力が試される場所であり、ほんと見ごたえがあった。
昨年とメンバーはほとんど変わらないのだけど、藤田社長が抜けて(本業とリーグ戦の掛け持ちはきついらしい)、女流の代表として和久津プロ、若手の代表として松本プロ、そしてプロじゃないけど強い素人として、俳優の萩原聖人の3人が新たに加わった。
昨年は、多井さんとコバゴーが好きと書いたが、今年、熱心に予選ラウンドを観戦した結果、どの雀士もみな好きになってしまったほどである。
みんなそれぞれ雀風(棋風と同じ意味でこういう言葉を使う)が違うし、麻雀の打ち方も個性的だが、その雀風も含め、各雀士のキャラが立っているところが面白いのだ!
将棋の場合はまずは実力だが、いや、ほとんど実力であって、サトシンやハッシーのようにあまりキャラが立ち過ぎても受けないところもあるのだが、麻雀は将棋以上に偶然性が強く、従ってエンターテイメント性も強いので、麻雀プロもただ打っているだけではイマイチ面白みに欠けてしまう。ただ、ここで強調しておきたいのは、RTDリーグに参加しているプロ達がわざと自らのキャラ作りに力を入れているというわけではない。皆必死で勝とうとして麻雀を打っているのである。これが大前提。ただ、必死な中で、また、プロならではの技術を見せる中で、自然と各雀士の個性が強調されて行き、それが解説の時などの言動と合わさって、段々と強烈なキャラに仕上がって行くのである。
鈴木たろう、勝又健志、佐々木寿人、猿川真寿、鈴木達也、石橋伸洋、平賀聡彦、和久津昌、小林剛、瀬戸熊直樹、白鳥翔、内川幸太郎、萩原聖人、松本吉弘、多井隆晴、村上淳と、こうして名前を羅列するだけで、それぞれのキャラが思い出されて、ニヤニヤしてしまう。

これらの雀士の中には、現在Mリーグに参加している人が半数以上はいるのだが、やっぱりMリーグは見る気になれない。
MリーグとRTDリーグが重複しているため、両方参加している雀士の負担が大きすぎるため、リーグ戦はMリーグに重きを置き、RTDリーグは来期はRTDトーナメントとしてリニューアルするという発表はあった。しかし、具体的にどうするのかは、これから考えるのだろうなあ。なにしろ、RTDリーグの廃止も決勝(生放送)が終わった時に急に発表したくらいだから。
麻雀界はMリーグにこれからの未来を賭けたわけだが、それが吉と出るか凶と出るか。正直ぼくにはわからない。ただ、ぼく個人の趣向だけで言うならば、RTDリーグには熱中できたけど、Mリーグには興味が湧かないということである。

まあ、大好きな小林剛プロが優勝しての幕切れだったので、結構、大満足なのである。

コバゴー、おめでとう!そして、ありがとう!

※全然具体的なこと書いてないのだが、読んでる人が麻雀知らないと、書けば書くほど公開の独り言という恥ずかしい状況になるので、どーも書きにくいのです。

羽生先生の呼称問題について

羽生先生(今回は先生とお呼びします)の肩書きといいますか、タイトルを失ってどのようにお呼びしたらよいかという問題についてです。

最初にお断りしますが、そんなに深刻に考えているわけではなく、どちらかと言うと軽いネタのつもり、どうでもいいっちゃ、どうでもいいのですが、狭い意味で世間的にも話題になっているようなので、取り上げます。
参考までに、ヤフーニュースのリンクを貼っておきます。
(『羽生九段「前竜王」?「九段」? 肩書は25日発表…「永世○○」の可能性も』)

永世称号いついては後で述べるとして、結論から言えば、「九段」か「前竜王」のどちらかしか選択肢はあり得ません(まあ、でも、あり得ないことが起きるのが将棋連盟だからなあ、と皮肉)。
あとは、羽生先生ご自身のご意向でしかないのですが、ぼくは8対2ぐらいの確率で「九段」を選ばれるのではないかと思っています(2というのは、ぼくの未練です)。

名人と竜王は失冠して後1年間は「前名人」と「前竜王」を名乗ることができる。元々は名人だけの特権だったのだが、これは如何に将棋界が名人というタイトルを最も重要視ないし権威付けしていたかという証であるし、実際に将棋連盟は名人戦及び順位戦を中心に回っていたわけだ。
「前名人」は純タイトルのような扱いだったのかな?席次としてはタイトル保持者よりは下だが、九段よりは上である。
ちなみに、現在の将棋界は、タイトルと棋士番号(若い番号の方が先輩、先に入会したということ)によって席次が決められている。名人と竜王は同格ということで、棋士番号の若い方が格上である。ただ、複数冠もっていれば、そちらの方が格上である。
席次の話をすると長くなるのでやめるが、とにかく「前名人」は九段よりも席次も上だろうし、なにより公式記録に残るのである。
例えば、第35回NHK杯将棋トーナメントの優勝者は谷川浩司前名人である。これは未来永劫、というと大げさだが、公式記録として残り続けるのである。
前竜王の話をする前に、前名人の話をすると、ぼくは将棋ファンになったのは割と遅くて、高校2年生くらいからである。だから気がついたときは、谷川前名人で中原名人(十段・王座)であった。加藤王位で、米長王将・棋聖・棋王というラインナップだったかな。後で知ったのだが、加藤一二三先生も名人を失冠した時は前名人を名乗られた。
その後は、中原先生が名人を米長先生に奪われた時に無冠になり前名人を、米長先生が羽生先生に名人を奪われた時にやはり前名人を1年間名乗られた。
前名人の歴史?というと変だが、じつは歴史を辿るとここまでである。98年に谷川先生が名人を失冠した時から、歴史が変わり始める(だから表現が大げさだって)。
この当時、谷川先生は竜王と名人の二冠だったので、名人を失ってもまだ竜王であった。しかし同じ年にこともあろうに藤井六段という若者に4タテで竜王位を奪われ、無冠となる。こうなると、確かにややこしい。同じ年に名人と竜王をいっぺんに失ったので、まさか前竜王・前名人などと名乗るわけにもいかず、再起をかける思いも含め「九段」となることにした。
そこから、佐藤康光、丸山忠久、そして森内俊之各先生も、名人を失冠して無冠になっても、前名人ではなく九段と呼ばれることを選んだ。

さて、また話が長くなってしまっているが、ぼくがブログを書くとどうしても説明調になってしまうため、文章が長くなってしまうのである。これは別に橋田壽賀子先生の影響であるというわけでもない。

以上の説明を前提として、今度は「前竜王」のことである(永世称号の話はいついけるのだ?)。
読売新聞社が十段戦を発展解消させて立ち上げたのが「竜王戦」である。優勝賞金は棋界ではダントツの4,320万円を誇り、対局料や各組優勝賞金等も他棋戦とは比較にならないほどである。以前、河口翁がおっしゃっていたが、平凡な棋士が竜王戦で4回対局すれば(本戦で1回勝って1回負けて、昇級決定戦に回って1回勝って1回負けるというパターン)、年収の半分稼げるというほどである。
札束にものを言わせ、竜王位の権威や席次、昇段規定にまでに影響を与えて来た。
繰り返すが、貧乏人のぼくは、読売新聞も巨人軍もついでに日本テレビも嫌いだ(LPGAの放映権問題も、確かに舌足らずなところもあったのだろうが、日テレだけだよね、妥協しなかったのは。一体何様のつもりだ?)。
とは言うものの、プロ将棋界にとっては、ありがたいスポンサー様には違いない。
その竜王戦も、札束の力にものを言わせ、名人と同等の格を付けたいということで、竜王位失冠後には、1年間「前竜王」を名乗ることができるというわけだ。
その例に習って、これまで前竜王を名乗ったことのある棋士は、島朗、羽生善治、佐藤康光の各先生だけである。藤井猛てんてーは、九段だったんだよな、そう言えば。
98年以降、「九段」と名乗るのがトレンドだということだな、うん(いや、そーゆー問題じゃねえだろう)。
もう、結論、出たじゃん(苦笑)。

それでは、最後に永世称号について見ていこう(もう、疲れた)。
大山先生はぼくが将棋ファンになって気がついた時には、十五世名人であった。
中原先生は、米長先生に名人位を奪われ無冠となり、1年間前名人を名乗られたあと、ご自身の意向というか、嗜好で、「永世十段」を名乗らた。その後「永世十段・名誉王座」とし、現在は現役を退き、「十六世名人」となっている。
(いやあ、最初「じゅうろくせい」と変換したら「十六性」と表記されて、思わずそのままにしようとしたって、何毒吐いてんだーーー、お前はーーーーー!)
米長先生の場合は、羽生先生に名人位を奪われ、1年間前名人を名乗られた後「九段」となり、A級から降級してフリークラスに転出した際に「永世棋聖」となったように記憶している。
現役で永世称号を名乗られたのは、以上3名だけですよね。
いずれも、現在の羽生先生よりもお年を召されてからのことであり、中原米長両先生はその後タイトル挑戦すらない(そう考えると、大山十五世の名人と王将のタイトル挑戦は驚異的なわけで、まさに超人でいらっしゃった)。
永世称号が原則引退後というのは、理屈では納得がいく。だって、永世に竜王なんだから。例えば、あきら先生が永世竜王を名乗り、来年、広瀬竜王に挑戦したとすると、永世竜王が竜王に挑戦って、なんだか変である。しかも永世竜王より竜王の方が格が上という。
永世称号って、ベストジーニスト賞とか好きな女子アナランキングの殿堂入りみたいなものなのかな(急に話が軽くなったぞ)?本来、永世称号を名乗ったら、その棋戦には参加できないというのが理屈っちゃ、理屈だもんな(けど、大山十五世名人が中原名人に挑戦した当時は、そんなこと微塵も思わなかった。)。
ということで、羽生先生が47歳にして永世称号を名乗るなどということは1億%無い!
(なんか、オレの文章、皮肉ばっかだな。)
尚、将棋をよく知らない人は、「永世七冠」にすれば?などとおっしゃるが、いや、そんな称号はありませんから。羽生先生は七冠当時でも、肩書きは羽生竜王・名人だったのですから(最初は羽生名人・竜王だったのだが、やっぱりY新聞社がチャチャを入れて・・・・・・)。

なんだか、書けば書くほど、あまり実のない内容というか、虚しくもあるのだが、スポーツ紙やネットニュースの分かっていなさに腹が立ってこんなこと書いたような気もする。
公式の発表は連休開けの25日です。

第31期竜王戦七番勝負第7局は広瀬八段が勝ち、竜王位を奪取

長かった七番勝負も、やっと決着。
この歳になると、3ヶ月なんてあっという間の体感速度だが、それでも、10月中旬の第1局が遠くに感じるほどの、熱い戦いだったと思う。
今は両対局者に労いの気持ちしかない。
本当に、素晴らしい対局をありがとうございました。

・・・・と、同時に、やはり長年タイトルホルダーとして君臨し続けてきた羽生前竜王に対する思いも、溢れんばかりに湧いてくるのも確かだ。
ぼくは羽生ファンではないが、羽生さんのデビュー以来30年以上、疾走し続ける羽生さんと共に将棋ファンを続けて来たので、今、こうしてPCに向かってキーボードを叩いている間にも、言葉では容易に表せないような様々な思いが交差する。

思えば、羽生さんの初タイトルはこの竜王位だった。
当時19歳でタイトル挑戦なのだから、十分以上に若いのだが、当時は10代の未成年棋士が現在の20代の棋士以上に活躍していて、将棋界を荒らしまくっていたらから(言葉が悪い?)、この時の羽生さんの竜王挑戦も、ようやくタイトル戦に登場したかという周囲の印象であった。
しかしシリーズは、決着の舞台が第7局までもつれるという意外な(?)展開となった。ぼくはこの時、「島さん、結構強いんだなあ」などと失礼なことを思っていた。しかし、これには理由があって、この当時ぼく自身が羽生さんのことを格上だなどと思っていたわけではなく、当の島さんご自身が、羽生さんの実力を認めすぎちゃっているところがあったので、まあ、これは島さんらしい冷静で客観的な分析なのかもしれないけど、これではとても防衛なんてできないだろうとぼくには感じられたのだ。
当時はネット中継はもちろん、BSの中継もなく、最新情報と言えば、読売新聞の社会欄に掲載される棋譜であった。家は読売新聞をとっていたので、第7局の2日目の朝刊で、第1日目の封じ手までの棋譜を確認することができたのだ。その時は、羽生さんが振り駒で先手番を取り、相掛かりに誘導したのであった。ぼくはこの指掛けの局面を見て、羽生さんは「あえて」矢倉を選ばず、相掛かりに誘導したと思ったし現在でも思い続けているが、真相はご本人のみ知るところであろう。
結果は、次の日の朝刊で知るところとなり(テレビのニュースでも、もしかしたら1分間くらい放送したのかな?当時のことはそこまで知りえない。)、羽生さんが当時史上最年少の19歳という年齢で竜王位を獲得したのである。

・・・なんて、思い出話を語っていると、羽生さんを肴にするだけで一晩はいける自信があるので、どなたかお付き合いしたい方はいつでもどうぞ、という思いだが、このブログでは1話では際限がないので、折に触れて語って行こうと思っている(え?ブログ続ける気あるの?)。

さて、その初タイトル竜王から実に29年・・・・ですか?途中3ヶ月の失冠期間があったものの、今日までずっとタイトルホルダーであり続けた羽生善治という棋士。その間獲得したタイトルは実に99期を数える。
今回の竜王戦七番勝負で通算獲得タイトル数100期が掛かっていたし、同時に失冠すれば27年振りに無冠ということも、今更ここで語る必要もなく、ぼくの嫌いなお昼のクソワイドショーでも話題にされていたくらいである(サトシン、頑張ってたねえ)。

う~ん・・・・・・・・・・・・・。
いつかこの日が来るとは漠然と思っていたけど、もう少し先のことだと思っていたし、実際に来てしまった今、一将棋ファンとしては、結構な脱力感である。
これは勝手な想像で大変申し訳ないのだが、おそらく羽生さんご自身は、疲労や多少の脱力感はあるものの、そこまでの敗北感や悔しさ、挫折感は感じられてらっしゃらないのではないだろうか?
却って、周囲のファン(これは羽生ファンのみならず、ぼくを含めた一般的な将棋ファン)の方がショックが大きいのではないだろうか?

今後の羽生さんだが、無冠になってしまったこの事実を厳然と受け止め、もっと将棋が強くなりたい、もっと実力を付けてまたタイトルに挑戦したいというモチベーションに変えていくならば、近いうちの捲土重来も十分あるであろう。
と言うか、ぼくのような存在がそんなことを述べるまでもなく、羽生さんご自身はすでにそのような思いでいらっしゃるでしょう。
ただ、人間、誰しも歳をとるし老いていく。それ自体は悪いことでもなんでもないが、将棋が強くなるという要件においては、ハンディキャップになるであろうことも事実である。
これから40歳代最後、そして50歳代になった羽生さんがどのような棋士になっていくのか。逆に、これ以上強くなられても・・・・・、楽しみでもあり、怖くもある。
なにせ、某棋王なんか、近年コテンパンにやっつけられているもので・・・。

最後に、戦前から言われていた、いわゆる羽生さんの「呼称問題(大袈裟だな)」。
ぼくとしては「前竜王」を名乗ってほしいと思っている。
90年代の谷川九段以来、名人と竜王を失冠した棋士は皆「前名人」「前竜王」を名乗らず、段位を名乗っている。
その気持ちはとてもよくわかるのだが、しかし、それは棋士の側の一方的な我が儘というものであろう。対局料や賞金を出しているスポンサーからすれば、一種の権威の象徴として「前」の称号を名乗ってほしいはずである。
ぼくは読売新聞も巨人軍も嫌いであるが、しかし竜王戦の優勝賞金4,320万円という金額は将棋界でも破格なものである。
別に、スポンサーに媚を売る必要はない。配慮しろと言っているのでもない。ただ、スポンサーあっての棋戦だし、お互いがお互いを尊重し合えるというか、共存共栄というか、そういう良好な関係を築いてほしいのだ。そのためにも「前竜王」を名乗るのは、一種の礼儀ではないだろうかと、そう考えるのだ。
まあ、余計なお世話ですけどね(苦笑)。本音は羽生九段と言いたくないだけなのである。
羽生さんならば、前竜王であるうちに、棋聖か王位を奪取してくれるだろうというあざとい計算である(名人はなあ。天彦さん、つえーから、名人戦は)。
ちなみに、永世称号はあり得ない。まだ、そんな歳じゃない。別に「原則引退後に襲名」にこだわらなくてもいいが、あれは年寄りの名誉職みたいなところもあるし。
意表をついて、「名誉NHK杯」はありかな?「原則引退後」の縛りもないし。
そう、ぼくの中では、羽生さんは「永世八冠」なんですよ。NHK杯優勝10回というのも、とんでもない記録である。

ごめんなさい。
羽生さんの話ばかりになってしまったが(これでも1/100も書いてない)、主役は広瀬新竜王でしたね。
いやあ、強い、強かったです。
最初2連敗した時は、「おい、おい、せめて1番くらい返してよ」などと失礼な事を思ったりしたが、その後は見事に立て直し、存分に実力を発揮してくれたと感じている。
中盤の別れで不利になったら、そこから粘る粘る。粘りといっても、意味もなく粘っているのではなく、しっかりとした技術に裏付けられた粘りと言いましょうか。
序盤で作戦勝ちしたら、そのまましっかりと勝ち切る。プロの将棋は勝つまでが大変なんですよ、と知ったかぶり。
おそらく現在棋界一強いであろう広瀬さんをもってしても、フルセットの末ようやくタイトルを奪取というのだから、やっぱり羽生さんって強いんですよ。ちょっと羽生ファンは結果を贅沢に求めすぎるんじゃないの?あぁん?

まあ、彼のことはC1五段のころから注目してましたからね。なんて先見の明があるのだろうと自画自賛。
あ、すみません、調子に乗りました。ほんとは「たまたま」なんです。
でも、裏芸でたまに振り飛車穴熊やってほしいなあ、なんて。

広瀬さん、竜王位奪取、おめでとうございます!

次は広瀬竜王として、渡辺棋王に挑戦か・・・・、ちと困ったな。
渡辺棋王におかれましては、王将に復位して、最悪の場合の保険を掛けといてほしいです。

裏と表

「アキラ100%」という芸人及びそのネタをテレビ、もしくは動画サイトなどで視聴したことがあるという前提で話を進めなければならないことをご容赦願います。

某ニュースより抜粋
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アキラ100%といえば、全裸姿で股間を隠すお盆をひっくり返すネタで人気となっている。しかし、そんな芸風に対して、BPO(放送倫理・番組向上機構)公式サイトの「視聴者からの意見」欄に、「公然わいせつ」「子どもの教育に悪影響」だとする苦情の投稿が掲載されたという。
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あるいは、歌丸師匠が批判的な内容を口にしたとか言うニュースも小耳に挟んでいる(歌丸師匠はアキラ100%個人やその芸風そのものを批判しているのではなく、あれを面白がってテレビに出しまくる関係者に苦言を呈しているのである。)。

こういった意見に対して、何でもかんでも苦情・クレームを申し立てる現代の風潮に対する批判的な見方からの反論も多い。
そんなことで、いちいち目くじらを立てるなという気持ちもわからなくはないが、この場合は事の本質が少し違うと思うので、ぼくなりの視点で考えてみたい。

ぼくは、「R1グランプリ」でアキラ100%が優勝する前から彼を知っている(テレビを見ないのでやっぱりヨウツベとかで(苦笑))が、いや、普通に面白いと思っていた。馬鹿らしいっちゃ、馬鹿らしいのだが、その馬鹿らしさが面白のだし、あの動きを見れば、そんなにレベルの低いことをしているとも感じない。ラッスンゴレライやスギちゃんの方がよほどレベルが低いよ。

ただし・・・・。
やっぱり、こういうのって「裏芸」にしときたいよね。
「裏芸」と言っても、かくし芸という本来の意味で使っているのではなく、表で堂々とやらないというか。
かと言って、裏でコソコソ隠れてやるという意味でもないのだけど・・・。

この「表」と「裏」の説明がややこしいので、このコラムは冗長になるのである(苦笑)。

今は見ないけど、ブロードバンド時代以前はぼくもテレビをよく見ていた。で、深夜番組とか好んで視聴していたのだが、深夜番組と言ってもそんなに深夜ではなく、22時以降の番組なんだけど、それっていわゆる深夜枠ですよね?
今は知らないけど、当時の深夜枠って、各テレビ局もゴールデンの時に比べれば世間の目を気にせずに済んだので、いろいろ普段できないようなしょうもない企画なんかもできたりしたわけだ。でも、だからこそ深夜枠は面白かったわけだ。もちろん中にはホントにしょうもない企画もあったけど、深夜枠だからと許しちゃえる部分もあり、いや、そもそも深夜にそんなに真剣にテレビを視聴する人もいないであろう。
だから、ちょっと評判が良くなった深夜枠の番組をゴールデンに持ってくると、途端につまらなくなるというのは当たり前の話なのである。
その最もたる例は「めちゃイケ」かな。元々は「めちゃモテ」だったんだけど、流石に土曜日の夜8時、あの「ひょうきん族」の後釜となれば、そんなにくだらないことはできない。しかしそれでも「子供に見せたくない番組」の1位を誇っていたのだから、まあ、頑張っていた方なのかもしれない。

ん?結局、何が「言いいたいのか?
えーと、何て言ったらいいのでしょう(苦笑)?
つまり・・・、「裏」には「裏」の面白さがあるのですよね。まあ、それはお世辞にも「実のあるもの」ではないであろうし、「くだらないもの」と言っていいかもしれない。
でも、そういう、くだらないもの、しょうもないもの、エロ、グロ、ナンセンス。
それも人間の一部なのだし、時にはそういうものを楽しむという感性だって人間には備わっているのではないだろうか?

ただ、それを表に持ってくるから、ややこしいことになるのだ。
裏でこそこそやるなんて卑怯だと思われているのか知らんが、何でもかんでもフラットに並べて眉間にしわ寄せて批判されたんじゃ、かなわんよなあ。
むしろ、裏と表の区別をつけない、割り切れない、そういう思考回路の方が危ないと感じるのだ。

「子供の教育によくない」って、いや、ぼくだって子供の親だし、子供に見せたくないって物もたくさんある。でも、子供だって、そういうの薄々気がついて、そういう薄々感が成長していくにつれ、「裏」と「表」の境界線の判断となっていくのではないだろうか?
全部蓋をしてしまった純粋培養みたいな教育をされた子供が、大人になって世間を渡っていけるのかねえ?

一方で、日本人の悪い面でもあるのだが、表と裏のけじめをつけない事例も多々ある。よく指摘されるのが、コンビニなどに平気でエロ雑誌とかが置いてあるということ。外国人が日本に観光に来て驚く事例のひとつである。
別にエロを封印しろというのではなく、けじめをつけろと言いたいのである。
(普段の生活にけじめのない、だらしないぼくが言うのも説得力に欠けるのですが。)
ちなみに、ぼくは、酒席での下ネタは嫌いである(酒席でなくても普段の会話でも)。

あと、「エロ」や「グロ」を「芸術」として正当化しようとする輩も嫌いである。

「子供の教育に・・・」と批判する人も、「芸術だ」と主張する人も、どちらも変に生真面目なんですよね。
もっと柔軟になれないものかなあ?
恥ずかしいものは恥ずかしい、けど、こっそり楽しみたい、そういう具合でいいと思うのだけどなあ?
何でもかんでもフラットに、同じ土俵に無理やり立たせるような思考ってどうなんでしょう?

で、アキラ100%さんの話に戻ると、彼の芸は全く猥褻だとは思わないし、むしろ局部をお盆で隠すことに必死になっている様が可笑しいのだが、かと言って、R1グランプリで優勝とか昼間からテレビで披露する芸とか、そういうのとはまた性質が違うと思う。
決して、彼を蔑んでいるのでも、ぼく自身がお高くとまっているのでもなく、ただ、真っ裸でお盆ひとつで局部を隠すという姿は、裏でそっと楽しみたい芸ですよねと、そう言いたいのである。

歌丸師匠の落語も、アキラ100%の芸も、両方楽しめればいいじゃない?
(ちなみに、ぼくは落語は芸能だけど芸術だとは思ってませんよ。)
しかし、それは同じ土俵で語られるものではなく、違う性質のものとして割り切る必要がある。
自分の文章力の無さを棚にあげるわけではないが、そういう言葉で表現するのが難しい人間の表と裏の微妙な心理を無視して、無理やり画一化しようとする論調の方がよほどナンセンスだと、ぼくには思えるのだ。

先日の都議会議員選挙に思うこと、少し

東京都民ではないぼくには関係のないことであると言ってしまえばそれまでだが、そうも言っていられない要素も少しあるので、それを述べたいと思う。

東京都は日本の首都であるので、他の道府県とは違った特異性を持っているのは間違いない事実だが、建前上は地方自治体の一つである。
その地方自治体の議会を構成する議員を選出する選挙に、何で国会議員が応援に行くのであろうか?
稲田防衛相がどうたらこうたら言ったというのも問題かもしれんが、そもそも国会議員やましてや閣僚や総理大臣までが地方議員の選挙の応援に駆けつけるなんて、地方自治の原則からするとオカシイ事だと、ぼくなんかは思うわけだけど、いかがでしょうか?
また、地方自治体の選挙なのに、国政の問題を持ち出すのもどうかと思う。国と地方は全く関係ないわけではない(実際はズブズブなのですが)が、建前上は国政と地方行政とは個別の問題であるべきである。

先ほど、建前上は東京は地方自治体と申し上げたが、本音を言えば、日本は未だ中央集権国家である。ぼくは現在の日本の累積債務が軽く1,000兆円を超えた現状を考えると、いや、1,000兆超える前から考えていたのだが、新自由主義的意味ではなく、「小さな政府」がいいのではないかと思っていた。つまり、政府は政府にしかできない仕事をするようにして、財源と権限を地方に移譲して、地方の自治性と独自性をより高めるというものである。
しかし近頃では、主体性の弱い日本人にこんなこと無理なんじゃないかとも思えてきていて、いまでは諦めの刹那的境地にあるのも事実である。
あるいは、アジア人を統率するには、中央集権制度しかないのかあな?とか考えたりもする。

話がそれているようだが、えーと、つまりは中央集権ということは、意思決定及び行動がトップダウン方式ということであり、地方自治体の議会といえども国会の子会社的存在でしかなく、そこでも相変わらず自民党が幅を利かせ、地方は中央に陳述に伺い、中央は日本全国から広く吸い取った金を地方にバラ蒔いていくという構図である。

いや、これでいいのなら、いいんだけど、これじゃあ「マズい」という証が、国と地方の累積債務の問題なんじゃないのですか?
あるいは、年金にしても医療費にしても、社会福祉費が年1兆円のペースで増大していく国家予算をどう編成していくのか?

都議会議員選挙の結果は、都民ファーストの会が勝ったというよりも、自民党都連に対する拒絶反応が大きかったと見るべきであろう。ジンテーゼにせよ、アンチテーゼにせよ、いずれにしても選挙の主役は自民党であり、その存在感は揺るぎないものがある。
(公明党のことは、ここではあえて無視します、はい。)

小池都知事に関しては、確かに八方美人的なところはあるし、結局何がやりたいんだ、こいつ?的なところもあるが、皆、性急に結果を求めすぎではないだろうか?
4年という任期があるのだから、4年は見届けるしかない。
それが、選んだ人の責任でもある(オレは選んでねーけど)。

時間指定を受けるのなら、金を取れ

今、「働き方改革」ということで各企業が様々な取り組みを始めているということが、ぼくの周辺でも聞こえてくるようになった。やっぱり、電通の「あの事件」が世間に与えたインパクトが大きかったのだろうか?
そんな社会の動きを、このブログでも折に触れて取り上げてみたい、などと考えている。

今回は、ヤマト運輸の時間帯指定配達の内容の変更について。
詳しいことはホームページで確認していただくとして、12時~14時の時間帯指定を廃止したということだが、まず、ぼくが驚いたのが、時間指定の区分がこんなに細かく設定されていたということである。
ぼくが日本人の平均から見て、どのくらいの頻度で宅配便を利用するのかは不明だが、そんなに頻繁に利用するというわけではないが、滅多に利用しないというほどでもない。
そんなぼくが、これほど細かい時間指定があるとは、今の今まで全く認識していなかった。
時間帯指定なんて、せいぜい、午前か午後か夕方~夜の4時間ごとの3段階でこと足るような気がするのだが、大企業の馬鹿役員共が、顧客獲得のサービスの一環という考えで、だんだんエスカレートしていった結果がこのザマなのであろう。

どれだけのユーザーが自分が出した荷物が配達される時間帯にこだわるのだろうか?
むしろ、通販などで物を買った消費者が、自分がそれを受け取る時に、自身の在宅している確率が高いであろう時間帯を指定するということの方が大きのだろうか?
ぼくも、アマゾンやヤフーショップでよく買い物をするが、時間帯指定なんかしたことないけどなあ。

いずれにせよ、そんな細かい時間帯指定が必要であるとは、どうしても思えないのだ。

言うまでもなく、時間帯指定の品物があると、荷物を配る順番と地域を効率よく回る順番との間にギャップが生じる。それは確実に、配達員の労力やガソリン代・車両維持費などのコストに影響を及ぼす。
であるならば、それに掛かるコスト分を価格に上乗せするというのは当然の利であろう。

ぼく自身の体験でも、時間指定が無料だと、確固たる理由もないのに、なるべく早く着いたほうがいいかなということで、午前中を指定してしまうことがある。
しかし、これが配達料金に加え、時間指定料を徴収されるというのであれば、よほどの理由がない限り時間指定しないであろう。
そういうユーザーって、結構多いのではないだろうか?
どうしてもその時間帯に届けて欲しいというのであれば、追加で200円位払ってもいいし、そこまでして時間指定する気がない場合は指定しないという選択肢もある。

いつの頃からか知らないが、いつの間にか、日本人というのは「サービス」という言葉は「無料」という言葉と同等であるという解釈をするようになってしまった。
それは、とんでもない言葉の履き違えであろう。
そんなことを言ったら、「サービス業」なんて成り立たないよ。

企業側があるサービスを提供し、そのサービスに顧客が満足をし、それに見合った対価を払う。
双方が満足し、めでたしめでたしのはずである。

ところが企業側が、いつの間にか、なんでも無料(タダ)でやってやれば顧客はもっと喜ぶと勘違いし、結果、採算が合わなくなり、そのしわ寄せは従業員に行くようになった。
いや、もっと大きな流れで言うと、採算が合わなくなったしわ寄せは、やがては企業側の手抜き行為になり、最終的には顧客側が損をするという仕組みになるのである。
宅配便にしても、時々メール便とか荷物を配達せずにどこかに捨ててしまったなんて話もある。捨ててしまった従業員個人のモラルの問題では片付けられない「負のスパイラル」がそこに存在するのだ。

宅配便の時間帯指定がユーザーにとっての価値あるサービスであると自負するのであれば、堂々と料金を取るべきなのである。
本当にそれが必要であるならば、ユーザー側だってコストを掛けることを厭わないはずである。

藤井聡太四段が29連勝の新記録を達成した件

連勝記録を樹立した当日に「ニュース7」を珍しく視聴したのだが、朝や昼のワイドショーでもかなり話題に取り上げられているようだ。
何でこんなに話題になっているのだろうと、マニアとしてはむしろ疑問に思うのだが、29連勝がそんなに凄いことなのか?
いや、凄いことなんだけど(笑)、仮に、仮にだよ、ニュース7でスタジオに出演していた永瀬君が連勝街道を爆進していたとしたら、こんなに話題になったのかということ。
大体、28連勝の記録保持者が神谷八段だということを、どれだけの人が知っていたのかって話。
そう考えると、連勝も凄いのだが、やっている棋士がまだ現役バリバリの中学生ということの方が話題性が大きいのだということは言える。

実際、中学生棋士の活躍を目の当たりにするというのは、ぼくにとっても人生初の経験なのである。
ひふみんの頃は生まれていないし、谷川九段の若い時も実は全く知らない。
羽生三冠の時だが、もちろん知ってはいたけど、大げさな表現をすると、当時は棋士が対局している様子なんて全くベールに包まれていたから、同時代的に体験するなんてのはできなかった。将棋世界の熱心な読者だったわけでもなく、そういう棋士がいるなあ程度の認識なのである。
渡辺竜王は中学卒業前に四段昇段したというだけで、中学生棋士と呼ぶのはいささか強引だと思う(いや、その実績は十分凄いことなんですよ。)

現代になってようやく棋士の対局というものをスポーツ中継のように、ファンが同時刻的に視聴できるようになった。
そうした土台の上での、聡太四段の話題性ということであろう。

より専門的な内容は英さんにお任せするとして、一向に棋力が上がらない30年以上ファンのマニアとしての感想は・・・・。
「凄いことをやった」という実感は、正直あまり無いんですよね。
対局相手を見下すわけではないが、もっと強い人たちはいる。
藤井君の連勝した相手よりも更に強い棋士たちを相手に勝率7割以上の羽生先生の方が、「凄い」という実感は湧くんですよ。
連勝記録に価値がないとかそういうことを言っているのではない。
ぼく自身の感情がどう動いたかという話なのである。

当たり前だけど、これから、ですよね、これから。

竜王戦でも、挑戦者決定三番勝負まで勝ち上がるようなら、かなりの事件である。
え?もし、挑戦者になったらって?
その事は、その時に考えますよ。今は妄想もできない。

あとは、羽生先生との公式戦対局は最短でいつになるかと考えると、これは王将戦予選を勝ち上がって、王将リーグ入りしたときなのかな?
あるいは棋王戦決勝トーナメントの組み合わせ次第ということなのだろうか?

当たり前すぎるけど、いずれにしても、各棋戦でまだ「本番前」という感覚は否めない。
(竜王戦はもう本番に入ってますが。やっぱり凄いなあ。)
デビュー以来負けなしの29連勝は凄まじいことは凄まじいのだが、
実績としてはこれからの棋士なのである。

・・・なんて、うかうかしてたら、ホントにみんな勝てなかったりして。
そんな、SFみたいなこと、あるのかなあ?
今はまだ、そんな感じです。

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